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高松高等裁判所 昭和24年(控)1374号 判決

控訴人 被告人 森本兼之 外四名

弁護人 岡林靖 外二名

検察官 田中泰仁関与

主文

原判決を破棄する。

被告人森本兼之を懲役壹年及び罰金五千円に処する。

被告人東坂文三郎、同大西今一、同松本荒太郎を各懲役八月及び罰金五千円に処する。

被告人花頼光を懲役六月及び罰金参千円に処する。

但し各被告人とも本裁判確定の日から参年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金貳百円を壹日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

押収に係る各種選挙投票、開票録綴中(刑第三号)虚偽部分はこれを沒収する。

理由

弁護人松山一忠、同岡林靖、同高橋正重の各控訴趣意は夫々別紙記載の通りである。

弁護人岡林靖の控訴趣意第一点について

原判決摘示事実中第一の非選挙人投票罪の事実と、同第二の職務怠慢罪の事実と、同第四の虚偽有印公文書作成同行使罪とは各別個独立の犯罪であつて所論のように第二の職務怠慢罪に包括せられる一個の犯罪とは什うしても解せられない。従つて原審が右第一、第二、第四の罪を併合罪であるとして被告人森本兼之を処断したのは相当である。論旨は理由がない。

同第二点について

被告人東坂文三郎、同大西今一、同松本荒太郎の原判決摘示事実第四の虚偽有印公文書作成の事実は原判決に挙示している証拠によつて十分認めることができる。即ち本件訴訟記録並に原審の証拠を精査し弁護人の援用する事実を吟味しても原審の右認定は相当であつて些の事実誤認はない。尤も本件投票録の投票立会人である右被告人三名の氏名は被告人花頼光が代署したのであり押印も同被告人に押して貰つたのであるがそれは右被告人三名とも原審認定のように右投票録の記載内容を承知の上のことであり又衆議院議員選挙法第三十四条規定の署名は自署であることを要しないと解すべきであるからこのような場合は投票録に適法な署名があるものと見るのが相当である。論旨は理由がない。

同第三点について

衆議院議員選挙法第三十四条には投票管理者は投票録を作り投票に関する顛末を記載し投票立会人と共に之に署名すべしと規定せられているから投票録なる文書は投票管理者と投票立会人との共同行為によつて完成せられるものであること(唯その完成行為即ち実行行為の分担に於て投票管理人は投票録の作成と署名を、投票立会人は署名をと其の程度に差異はあるが)が明白である。従つて投票立会人は投票録完成行為を幇助するものではないから所論のような従犯責任を主張する論旨は採用出来ない。

同四点並びに弁護人松山一忠、同高橋正重の控訴趣意について

本件訴訟記録並びに原審が取調べた証拠を精査し各弁護人の援用する事実を検討すれば被告人等はいづれも(1) 前科がないこと(2) 本件犯罪は投票率を高める為に行われたのであつて其の間に投票買収等の意図はなかつたこと其の他の情状が窺われ被告人等に対しては原審宣告の懲役刑について相当期間其の執行を猶予するのが適当と思われた。此の点の論旨は理由がある。

仍て刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条により原判決はこれを破棄し、同法第四百条但書の規定に従い当裁判所において次の通り自判することとする。

罪となるべき事実及びこれを認めた証拠は原判決に記載の通りであるからここにこれを引用する。

適条

原判決に記載の法条の外刑法第二十五条昭和二十五年四月十五日法律第百一号公職選挙法の施行及びこれに伴う関係法令の整理等に関する法律第二十五条罰金等臨時措置法第二条刑法第六条第十条

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 浮田茂男 判事 近藤健蔵)

弁護人岡林靖の控訴趣意

第一、投票管理者が故意に投票録の作成そのものを怠つた場合は勿論、その適正な作成を怠つた場合も衆、議院議員選挙法(以下法と略記)第一一六条第一項の職務懈怠である。即ち虚偽記載の投票録を作成した場合も同罪が成立するのである。故に原判決判示第二の被告人森本の職務懈怠行為中には、客観的事実として本件虚偽記載投票録作成の行為を含む。されば右判示第二と原判決判示第四は二個の罪名に触れる一個の行為である。又右判示第二に明示してある通り、右職務懈怠行為は同被告人自身の不正代理投票を許した行為を含むのであるから、同被告人の判示第一の所為も亦、右第二の罪と一所為数法の関係に立つ、然るに原判決は之等を併合罪として処罰しているから、同被告人に対する原判決は破棄されなければならない。

第二、被告人東坂、大西、松本三名は法規に疎かつたため、投票録の内容が如何に記載さるべきかを十分に知らず、又実際に於て本件投票録の内容に就て相談に与からず、かつその内容を読まずその読聞けをも受けないで、花頼光の要求するままに印判を渡し押印せしめた丈(原判決は署名と判示しているが刑三号投票録を見ると記名押印である)であるから(註一)右三名が虚偽記載を知りながら之を作成したという原判決の認定は誤認である。

第三、然らずとするも投票録の作成は投票管理者の職務であつて、投票立会人はその内容作成に干与する権限を有しない。(法第三四条)。従つて右三名は本件投票録の内容作成につき、「公務員その職務に関し」の関係なく、被告人藤本と共謀共同し刑法第六〇条第六五条により共犯となる場合の外、本件虚偽記載投票録の作成に関し刑法第一五六条の正犯となり得ない筈である。原判決もその判示事実に於ては「投票管理者である公務員がその職務上作成すべき公文書たる投票録」と記載して、この法律関係を認めている。(但し刑法第六五条の適用はない)。然るに被告人東坂、大西、松本と藤本の間には、本件投票録の内容記載につき何等共謀はなかつたのであるから、右三名が本件虚偽公文書作成の正犯たるべきいわれはない。原判決が共同正犯判示の普通文例と異り、初めに共謀の文字を用いず、最後に至つて「共同して完成し」と結んでいることによつても、そこに共謀の存しなかつたことは窺えると思う。原判決の右認定即ちそこに共謀なくして、署名義務者の関係上記名押印し、以て共同して完成した所為は有罪としても従犯以上ではあり得ない。併しその場合投票立会人としては異議を留めて署名すべきか、署名を拒否すべきか、そのまま署名すべきか、法令に何等の規定なく、法律専門家と雖も判断に迷う位であるから幇助認識があつたとは限らず従犯の成立もなお疑問であると思う。

とにかく被告人東坂、大西、松本を虚偽記載公文書作成の正犯とした原判決は以上の理由で破棄を免れない。なお従犯と認定したものであれば刑法第六二条第六三条を適用しなかつた違法がある。

第四、被告人四名に対する原判決の量刑は、左記理由で不当であり破棄を免れない。

一、法が一般には代理投票を認めず、法第二七条の二、法施行令第二〇条の二が代理投票につき厳格な条件を定めた所以はそうしないと(一)選挙人の意思に反する投票のなされる虞があり、(二)投票の請負式のものが生じ買収等選挙の公正を害する行為が容易になるからである。投票管理者の職務懈怠を罰し投票録の作成を命ずる所以も亦選挙の公正保持のために外ならない。然るに本件被告人等の代理投票は選挙人の意思に反したものではない。(註二)。又、代理投票もその他の行為も特定の候補者或は党派の利益を図つたものではないから殆ど選挙の公正を害していない。

二、被告人等の本件犯行は唯に特定の候補者又は政党の利害のためにしたものでないばかりでなく、被告人等自身又はその関係者の利害のためにしたものでもない。利欲の念が絶無であつたのみでなく、怨恨、激情その他普通犯罪の動機である如何なる事情もなかつたのである。反対に犯罪とは縁の遠い人間の善良性、誠意、熱心というような道義的なものと法律に対する無智が、他の事情と相俟つて犯行の原因となつたのである。悲しいかな、之が矢張り犯罪であるけれども、普通に私達が犯罪の語によつて観念するものとは違うのである。

(1)  他の事情の第一は本末をてん倒した形式上の棄権防止運動である。国民が主権者の一人である自覚を欠き、自己の政治上の代表を選ぶに無関心な結果が棄権になる。この棄権原因乃至之と一体をなす棄権が憂慮すべきであつて、実質的に見れば斯る人々の投票は真の選良選出には有害であり、その棄権は寧ろ歓迎すべきであるかも判らない。緊要事はこの棄権原因そのものを除去する教育啓蒙である筈である。然るに国家の現状はその本を軽視している傾きがないでもない。殊に徳島県当局はその末に走つて棄権防止のため、投票率優秀の町村に賞金を与えることにした。好人物の被告人等はこの宣伝にのつて形式上の投票数の増大に務めることを善と信じたのである。投票皆無でも被告人等の責任ではない。投票率優秀でも蒙毫も被告人等の利益にはならない。投票率を良くすることは投票管理者、立会人の職責と無関係であるに拘らず選挙人のかり出しめいたことをし、遂には不正代理投票迄したのは、全く無智と善意と筋違いの熱心の結果だつたのである。故にそこには被告人等を誤らしめた国家の責任がないでもない。

(2)  第二は当日午前十一時頃進駐軍の巡視があり、被告人森本はその応接に当り、従来の投票率が九割以上であつた経験上当日も九割には達するものと予想し、その事情を述べその予想を語り、ほめられ激励されて感激した。然るに当日は折悪しく旧正月の餅つきの日で、山村で遠隔の人も多いため(註三)、予想外に投票率が悪かつたので、素朴、善良な被告人等は森本の言責を重んじ、何とかして投票率を上げようと焦り、かり出しめいたこと迄為し、遂には家族の者は意見も違わぬだろうから代理投票を許そうという気を起し、又頼まれた分についてもその代理投票を為すに至つたのである。所犯が進駐軍の意思と極端に背馳するものであることは断然明白であるが、無智な被告人等は判断を誤まつたのである。自己の利益を図るでなし、特定の候補者党派の利害を図るでなし、選挙人の意見にも副うのであるから、全然正しいこととも思わぬが差引きさほど悪いことでもないように軽率に考えて誤まつたのである。

三、被告人等が本件代理投票をさほど悪いとも思わないでやつたことは、そのやり方がかなり大つぴらであつたことで窺える。

又被告人等の代理投票も入れて投票率は八割七分だつたのであるから(註四)、その意思さえあればもつと多くの不正投票もできた訳であるが、家族の分と頼まれた分以外はやつていないことから、法律にも暗いながら常識的に考えて実質上選挙の公正を害しないことで、投票率増大を望む国家の意図に副う点とにらみ合せ、さほど悪いことでないと考えて為したことが判る。投票録の点は右不正代理投票の当然の結果にすぎない。而もそれについてはまことに浅い認識より持たなかつたのである。(註五)

四、投票管理者の報酬は一日二百円立会人のそれは三十円か五十円で、勤務時間は午前七時乃至午後六時であるから全く奉仕仕事である。而も投票立会人は正当の事故なくしてその職を辞し得ない(法第二四条第五項)から、形式上は重罪であり外観上は忌わしい犯罪であるが、内実は上述のように無智と善意に出た過失犯にも類した本件で、体刑の実刑を科せられては被告人等としては泣くにも泣けない程である。されば村民も有力者の全員は固より大部分は何とかして被告人等を救いたいと焦燥している実状である。

五、被告人等は何れも村の上属階級に属し相当の田畑山林を有つ精農であり、以て家を始め国に奉仕して来たばかりでなくいくつかの公職にも就て公共に尽して来たし今も尽くしつつあるのである。何れも善良未だ曽つて悪事を意図しなかつたような人々である。勿論前科はない。再犯の虞もない。特別予防の見地から之を刑務所に入れる必要は毫もない。実害の発生した窃盗、詐欺、恐喝の犯人も初犯は屡々執行猶予を与えられている現在之等との比較上も体刑の実刑は酷である。

六、本件の罪種は一般警戒を重視しなければならない範疇に属する。だがそれは抽象論であつて、裁判は個々の事案につき具体的に妥当でなければならないのである。本件の如き犯罪は殆どないから一般警戒の必要は少くない。十数日間拘禁せられ被告人の汚名を被て長い間苦しみ心配して漸く執行猶予になつたとして、本件の動機犯情実害に対して果して軽すぎる応報であろうか。斯る刑罰ですむと知れば果して本件の如き動機から之を犯すものが生ずるであろうか。特定の候補者政党或は自己又は他人の利害のために之を敢てした場合、初めて一般警戒の鉾を向けるべきではなかろうか。本件に於て原判決の科刑が維持されるとすれば、特定政党、候補者の利害のためにした場合、之に自己の利欲が加わつた場合更に選挙人の意思に反し結果に於ても重大な実害の発生した場合、更に犯人の悪性と犯行の大規模の条件の加わつた場合の妥当刑は如何になるであろう。

一般警戒のためには単に教えれば足るのではないか。私は教えられて知り、而もなお本件の如き動機で本件の如き犯罪を敢てするものは絶無であると思う。

七、国家のよつて立つ精神は仁愛でなければならぬ。之が刑事裁判に発現すれば恕である。この恕で本件を裁けば被告人等の体刑は必ずや執行猶予でなければならぬと思う。

惜しむべき多くの人々が戦に死んだ、多数の人が追放で奪われた。極左極右の脅威に対し多数国民の為に中庸を守る有為の人の数は減つている。茲にも善良有為の被告人を救つて頂きたい理由がある。(註六)

附属説明書

註一、花頼光は公判でも検察庁でも「読聞けをした、被告人等が自ら押印した」といい、森本(検察官第二回)は「立会人に廻わし一覧して貰つた上夫々捺印して貰つた」というているが立会人三名は当弁護人にも原審公判でも本文のように述べている。(同人等の供述調書は投票録には全然触れていない。)(之は警察官や検察官が当時立会人の投票録関係を犯罪と思わなかつたためであろう)

要するに証拠採否の心証問題であるが、冬の日の午前七時から勤務し既に午後六時を過ぎた際のことであるから、各人帰宅を急いでいたであろうし、投票録に対する立会人の無関心乃至軽視と相俟つて、本文のような取扱をしたのが真相ではないかと思う。花頼光(検察庁)は(投票数一八〇人という記載は全くの誤記だ。一五八人が正しい。訂正を忘れたのだ」と云つている。投票数に重大関心のあつた被告人等が、その誤記に気附かなかつた点からも閲覧乃至読聞けのなかつたことが推測される。なお前記花と森本の供述の不一致もこの推論の支柱になる。

註二、代理投票された選挙人が何人に投票するかの確定意思なく、その点には殆ど無関心であつたことや、依頼した人は被投票者を指定したことは記録に出ている。個々面接は許されているから、選挙人同士の打合せや相談は自由であり、家族の間では話し合えば主人の意思が通つたであろうし、本件代理投票は本人の意思に反しなかつたと云える。なお投票率増大という形式を重んじた棄権防止運動のため、中央政治に無関心な選挙人等にも心理的強制(戦時中の例で云えば棄権は非国民だという式の)が作用しそれが本件の一原因になつたらしいことも記録を通じて窺われる。

註三、記録を通じて明らかである。山村では旧正月にはかき餅など殆ど向う一年間の食用にするものをつく。栗餅、高梁餅等取り交ぜ一石(森本ツネノ)もつけば相当大仕事である。準備後仕末を入れると早朝から夕刻にも及ぶであろう。私達仕事の多忙な時は四、五町離れた投票所え行くのも大儀なことがある。投票所えの距離につき二里という例も公判調書に出ている。大西定弘は投票所えは山道約十町というている。棄権者が多少あつても無理ではない。併し投票人等はやきもきしたであらう。(藤本サダ子、東佐古キク参照)。その果ては最初浦熊八の代理投票を拒否した森本も軟化したのである。

註四、投票率八割七分は記録に出ている。

註五、虚偽記載につき被告人等の認識の浅かつた点は、花頼光(検察庁特に第六、十問答)森本兼之(同第二回)が既に不正代理投票の自白をした後に於て、なお投票録の記載に誤なしと答弁し、虚偽記載となる点を指摘せられて始めて之を認めている事実から窺える。投票函、投票録取扱の実状を考えれば本件の如き投票管理人等の不正代理投票は、当然投票録の虚偽記載に結果しなければならない筈であるから、右答弁は一見奇異である。私は右のような答弁が出たのは右両人が虚偽記載につき明確な認識を欠いでいたためであると思う。即ち刑事訴訟に於ける更新手続の普通記載例に似たような考え方をしていたのではないかと思う。「裁判長は前回と同じ事を問うのであるが答は前と同じか」「同じであります」という場合の簡単な更新調書は固より適法であり正当であるが、本人が投票に来ないものを来たと看做す取扱は不法であるから本件が虚偽記入となり犯罪となることは争えないけれど、被告人等の認識上虚偽記入という点がボンヤリしていたことも争えないと思う。

註六、被告人等は村では有識有能者である。併し村の有識有能階級も法律的問題となればまことに無智である。私が前に被告人等を無智と書いたのは右の意味である。

弁護人高橋正重の控訴趣意

第一、新憲法の施行により多年培はれたわが家族制度は一挙に打破せられて男女同権思想の確立とこれに伴いて女性に対する一般選挙権が附与せられた。固よりこの権利は他国の例と異り女性が血を以て男性より闘ひ得たものにあらずして偶然にも他より与えられたものなるにより、その神聖さと尊厳さを熟知せざるものあり、加ふるに家族制度は凡有る部面に残滓を存し家族乃至女性は未だ家長乃至男性の意思により代表されてゐるのがわが国の現状である。農山村民に於ては特に然りと謂はざるを得ない。

女性の選挙に対する修練の足らざるは然ることながら農山村の男性に於ても選挙の何たるかを克く把握して行使するの尠きの現状に於て啓蒙の局に当る者己がこれに対する認識を以て直ちに以て選挙民を律すべきではない。法は須く古今東西を問はず知らしめ且依らしめなければならないものと思料する。本件は正に農山村民の選挙に対する認識の足らざるところに胚胎した選挙悲劇に他ならない。

第二、本件を観るに被告人等の所謂代理投票とこれに端を発した投票管理者としての義務懈怠及投票録の偽造の何れの点に於ても被告人等に於ては只管投票の成績を収めんが為のみの単純無垢の動機に出てゐる。即ち代理投票を託した者が大部分前記の如き女性而も旧年末の多忙と山間部の投票場への遠隔なる地理的条件に禍せられ、加ふるに被告人等の右動機より本件を惹起するに至つたものと謂はざるを得ない。更に当日は偶々進駐軍の巡視あり山間僻陬の谷東投票場としては是非その労に報ゆべく付ては専ら投票の好成績を挙げてこれに応へんものとの意図の下に本件が敢行されたものである。

一、金銭的関係全くなし 本件は被告人等が利害打算の上に犯したものにあらず投票率の如何による被告人等は金銭的に得るものも失ふものも何物もない。

二、特定候補に対する情実関係なし。 特定候補者よりの請託は固より被告人間に於ても候補者選択の自由の害せられたもの存せない。

以上の如く本件に於ては被告人等は利害情実に囚はれ犯したものにあらずして純真な素志から出でたものである、これ動機が単純無垢と叫ぶ所以である。

第三、立会人東坂、大西及松本は固より投票管理者森本に於ても選挙に対しては無智蒙味な農民に過ぎない。一回乃至二回立会人として管理者として経験あるとするも直ちに投票録の何たるやを熟知するものと即断することは出来ない。本件被告人のみならず箸蔵村否一般農山村のこれ等の地位にありたる者にして投票録の内容を熟知理解せる者幾何あるであらうか。投票録作成に際り被告人花が作成したるを他の被告人等が求めらるるままに捺印したるが将又被告人森本、花が協議作成したるを立会人東坂、大西及松本が閲読の上捺印したかの認定は別とするも尠くとも森本、東坂、大西及松本は花の学歴と経歴よりする知性を信頼したることは想像に難くない。

所詮管理者立会人とはその美名にかられて夫々内容空虚に拘らず名誉欲を擅にせんとして就きたる地位に他ならない。

第四、被告人等は何れも山村の農民として嘗て警察等の取調は固より前科なく、他に公的地位として森本は元村会議員現農地委員、箸蔵寺世話人、東坂は現村会議員、農地整委員、大西は民生委員、司法保護委員、松本は前村会議員、現学務委員、食糧調整委員を占め、財産として森本は田畑一町一反山林三十町歩、東坂は田畑五反山林十町歩、大西は田畑一町山林十町歩、松本は田畑一町山林三十町歩と他に各住宅宅地を所有する村内著名の所謂有志である。被告人等は本件発生により社会的信用の失墜は已むなきとするも第一審判決によりては村内人材を一挙に失ふこととなるのである。之れに別紙の如く村民挙つて歎願書を提出して御裁判所に於ける刑の御寛容を希つている次第である。又これによりても被告人等の前歴と従来村内に於ける功績の一端を御明察し賜へるものと信ずる。

被告人等は本件起訴と第一審判決により十二分に反省の機会を得選挙の重大性を認識し得た次第である。又右により他戒の意義は充足せられ刑の目的は十分に到達せられたものと思料する。

第一審判決の如く被告人等に実刑を科することは刑の必要なる限度を逸脱するものに他ならぬ。

第五、以上の次第なるを以て被告人等に対し是非共執行猶予の御判決特に森本に対しては猶予期間の最長期にても切に執行の猶予有之度原判決の破棄を求むるものである。

被告人花頼光の弁護人松山一忠の控訴趣意

一、本件代理投票は被告人の積極的な自由意志によつて犯されたものでない。被告人は公判で、「谷東投票所はこれまでの選挙に何時も九十パーセント以上の投票率で成績が良いと言ふ事であつたのですが、其の日は旧節季の餅搗等の為午後になつても三十何パーセントの投票率であつたのです。其の時投票所にきた誰かから今日は投票率が悪いらお前も家内の分を一緒に投票せよと奨められたので恰度一緒に持つていた家内の分の入場券を私の分と一緒にして小島に渡し、山田から投票用紙を衆議院の分と裁判官国民審査の分と共々二枚宛貰つて投票しました」と云ひ又「代理投票が違反になるとは思ひましたが私も疎開して帰つた者ではあり郷に入つては郷に従へだと思い悪いと知りつゝ投票しました」とも述べてゐる通り投票場で代理投票をして従来の高き投票率を維持し其選挙事務関係者並有権者の選挙に関する熱意を誇示しやうとした谷東投票管理者森本兼之、同投票立会人東坂文三郎等の意思に従ふにすぎぬ。而して右森本兼之並東坂文三郎等が代理投票を為す事を同投票場受付係に指示した点は小島五月が公判で「私は谷東投票場で山田御笑子と受付係をしてゐましたが投票場を開いて間もなく投票に来た人が入場券を二枚出しましたので注意しますと自分だけで他は引込めて投票して帰つた事がありましたが其の後で管理者の森本と立会人の大西、東坂、松本等が今日は旧年末で忙しく投票率も悪いから家族の分も纒めて投票さそうでないかと相談してゐるのが近くであるので自然に私のゐる席へも聞えて来ました。そして相談の後管理者の森本が代表して私と山田、花の方に向いて今日は代理で入場券を持つて来たら入れてやれと命じました。私は悪い事だとは思ひましたが管理者や立会人は共々村内の有力者であり私は生活に苦しんだ揚句漸く役場へ就職出来たと云ふ弱い立場にあるので止むを得ず其の命に従つたのであります」と陳述し、山田御笑子も公判で「私は本年一月二十三日の衆議院議員選挙の折谷東投票場で投票用紙の交付の事務を執つてゐましたが一人の人に何枚も投票用紙を渡した事があります。それは管理者や立会人がパーセントをあげる為代理投票を許してやれと云ふ相談をし森本管理者が其の事を私達に命じたからであります」と申した事によつて明白である。殊に柳倉利三郎は二月廿四日附警察官第二回供述調書中で「私は投票日の前日の午後七時頃大西今市さん方へ遊びに行き息子定弘さんに明日忙がしくて行けぬ、之をお父さんに頼んで投票して貰つて下さいと申し三枚の入場券を渡した」と述べ、大西定弘が同月二十三日附警察官供述調書中で大体柳倉利三郎と同様の供述をしてゐるが谷東投票立会人である大西今市は右柳倉利三郎の持参した三枚の入場券による代理投票をした事を自供してゐる点並右投票場の投票立会人であつた松本荒太郎の妻縫子は二月二十三日附警察官供述調書で「選挙日に主人荒太郎は朝早く出かける時に私の入場券を持つて出かけ、わしが投票してやる」と申したと陳述してゐるのみならず投票管理者森本兼之の長男功の妻秋子は二月二十六日附警察官供述調書で「投票日の午前八時頃主人が投票から帰つて来て私の分も投票してきたと申しました」と陳述してゐる点を綜合して考察すれば投票管理者や立会人が同人等に於て投票日に各自の自由意思で受付係が代理投票をさせているのを黙認し各人も亦代理投票をしたもので断じて受付係に代理投票を許すと指示した事なしとの弁解が是認出来ぬのみか、投票日の前日から己に代理投票が出来る事が有権者に判つて居つたと認定せざるを得ない。斯様な空気の下に行われた谷東投票場での投票であるから森本管理者を始め松本荒太郎等の立会人が代理投票を許す旨の指示を受付係である山田小島並選挙事務取扱者花に与へた事は明白で花も其の指示に従ひ代理投票をしたものと認定するのは当然で花被告人が謂ふところの引揚者の立場で郷に入つては郷に従つた心境は十分に斟酌されねばなるまい。

二、本件虚偽投票録作成幇助は其作成責任者である投票管理者等の指示に従つた行為である。被告人は公判で「私は昭和二十二年九月から箸蔵村農地委員会に勤務し本年一月二十三日の衆議院議員選挙の際谷東投票場で選挙に従事した外選挙事務に関係した事はありませぬが其選挙事務を委囑された時万事投票管理者の指示に従へと云はれていたので管理者である森本の指示に従つて雛型により作成しました。其投票録作成に当つては代理投票の事実を度外視して入場券と投票数とにより形式的に調査して作成した上管理者と共に続々立会人全部に見せました」と陳述してゐる。被告人は始めて選挙事務に関係した為選挙事務には全然不慣れであるから終戦後引続き選挙管理者として何回かの選挙を体験し其道に精通してゐる森本兼之の指示を受け其の指示の儘に投票録を作成して其作成後に過誤なきを期して森本の検閲を求め更に選挙事務に経験ある立会人にも見せて万全を期した事は当然の事である。敢て被告人の責任を森本等に転嫁するのではなくて選挙事務に関する経験の有無と其投票録作成責任の深浅等を考えるとき被告人の陳述を肯定せざるを得ぬ次第であつて被告人こそ機械的労務者と云ふべく従つて其責任負担に付て深く酌量されて然るべきである。森本等の投票録作成責任者並其署名人は投票録は花が勝手に作成した故其内容も見ず知らぬ儘に署名捺印したと弁解するが、森本等が代理投票をしたのであるから其事実を知り而して少くとも当日の投票其の儘が記載されたと知るべきでそれを少しも知らなかつたとは云へぬ筈である。代理投票数を控除したとすれば投票率は著しく低下し代理投票により投票率を高めようとした目的を達せぬ事になり代理投票を行つた意義を失ふのであるから投票数総計が其儘記載されたとせねばならず、それを知つてゐたと云はねばならぬ道理である。即ちこの虚偽投票録作成は代理投票が行はれた事に原因する当然の結果であつて代理投票を認め之を指示して行はした森本兼之等の責任を先づ問ひ其指示に従つて行動した花被告人の如きは其哀れむべき犠牲として取扱ふべきである。

三、以上の如き被告人の個人的事情を科刑の上に十分参酌されると共に次の事情を併せて酌量して頂かねばならぬ。本件は我国選挙史上表面化された稀有の犯罪であるが、而し棄権防止が叫ばれ投票率高き町村への報奨制度さへ実施されてゐる今日其貴き一票を放棄させず投票率を高めやうとの善意に出た犯罪であつて特定候補者の為に其得票を集めやうとした悪意のものでないから此の点を特に考慮に入れて科刑されるべきだと思ふ。

四、要之其の犯罪の内容は悪質に非ず又被告人自身にも甚しくとがむべき事情なき故に原審の判決は其の刑重きに失するを以て之を破棄して是非執行猶予の判決を与へられるべきものと確信する。

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